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2015年5月 8日 (金)

五日市宿の市神石(12)

B15050701

然も村境らしい、地蔵の傍らを過ぎて、
JR五日市線の線路沿いを伊奈宿方向へ進む。
B15050702
再び、踏み切りを渡って、五日市街道に出た。
「伊奈坂上」バス停の辺りから、かつての伊奈宿に入る。
近くの私有地に、伊奈宿の「市神」が現存していると、
郷土館で聞いたので、見廻したら、すぐに見つかった。
こちらは石祠の形である。
B15050703
補修されているようだが、寛文二年(1662)の銘が残り、
やはり、伊奈石で出来ているそうだ。
「市の出入り」の顛末を続けよう。
月六回の「六斎市」になった五日市の市日が、
伊奈宿の市日の前日に当ってしまい、市庭は大打撃を受ける。
一方で、繁栄を増す五日市の商人たちは、薪炭を出荷する、
秋川渓谷上流の村々に対し、優位な立場で取引を始めた。
明和七年(1770)不満を持った養沢村は、
伊奈宿と共同して、訴えを起すに至る。
だが、訴訟が長引き、経済的基盤の弱い養沢村は、
五日市との示談へ追い込まれてしまう。
単独で戦うことになった、伊奈宿の三十二軒の問屋たちは、
直訴を決意、連判状も作成している。
明和八年二月、裁決が下り、訴えは五日市側の完勝に終わった。
爾後、伊奈宿は衰退への道を辿って往くわけだ。
B15050704
現在の伊奈宿は、五日市街道の拡幅などもあって、
ご覧の通り、往時の宿らしい景観を殆ど留めていない。
よすがは「市神」の石祠のみのようだ。
さて、五日市宿東側の探索をひとまず終え、
今度は西側へ廻ってみようと想う。
過酷な山城登攀もあるので、乞うご期待?
(捨身 Canon G1X)

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コメント

 伊奈のは自然石ではなく祠なのですね。でもコップがあるのからして、大切にされているのかなと思いました。
 街道の拡幅ですが、先日訪ねた城端も、T字路、鍵型の多い古い街並みが残るところなのですが、幅広い国道が真ん中を通っていて、ずいぶん変わってしまったそうです。町の人によると、移転した人が多かったとか。河岸段丘の上に作られた街なので、下がれないのですね。車社会の便利さと歴史の兼ね合いについて考えさせられました。

投稿: tae | 2015年5月 8日 (金) 00時04分

町によって、景観の保存状態がかなり違い、戸惑うことが多いですね。読み解きを複雑なものにしてしまうので苦労します。そんな時は、丹念に地元の方にインタヴューするか、史料や現地探索で元の地形特性を注意深く推定していくしかありません。うまくいけば「してやったり」ですが。
五日市宿と伊奈宿で、今も市神が大事に保存されているのは、全国的に観ても稀有な例で、貴重だと想いますよ。

投稿: kansuke | 2015年5月 8日 (金) 23時11分

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