« 五日市宿の市神石(24) | トップページ | 五日市宿の市神石(26) »

2015年5月21日 (木)

五日市宿の市神石(25)

B15052001

二つの堂舎が並ぶという特異な配置だ。
右が三嶋社、左が「武多摩社」(ぶたま)になっている。
B15052002
三嶋社は覆堂で、内部に中世の様式を残す、
流れ造りの拝殿と本殿が納まる。
興味をそそられるのは「武多摩社」ほうだ。
この名称は新しく、明治の神仏分離で付けられた。
よく観察すると、面白い特徴に気付く。
三嶋社は通常の神社様式なのだが、この堂は仏殿様式なのだ。
近くに寄ってみよう。
B15052003
朱塗りの垂木、花頭窓、格天井は、仏教寺院のそれで、
やはり、近世までは「不動堂」だったようだ。
禅宗様の「花頭窓」からも、推せるように、
かつては、隣地の光厳寺の持ちであった。
平安末期作の不動像が祀られているが、
由緒はもっと遡り、本来は当地の「地主神」とも云う。
戸倉(座)の神の本地は、岩峰と山伏の存在を、
窺わせる「不動尊」だったわけか。
いずれにしても、天徳二年(958)と伝わる、
三嶋社勧請(こっちは、多摩川水運由来か)の、
ずっと前より、鎮座していた可能性が高い。
中世世界の神仏混淆の残滓を濃厚に残していると謂えるだろう。
B15052004
賽銭箱の側面に「戸倉村本郷」とあるのが床しい。
「本郷」とは、当地で最初に拓かれた、誇りある郷のことであり、
古代では郡衙の所在地、中世では一族の本貫地を意味する。
此の社の庭で行われたであろう、年中の祖先祭祀はもとより、
集落の命運を左右する「寄合い」にも、想いを馳せてみたい。
(捨身 Canon G1X)  

|

« 五日市宿の市神石(24) | トップページ | 五日市宿の市神石(26) »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 五日市宿の市神石(24) | トップページ | 五日市宿の市神石(26) »