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2015年6月30日 (火)

桐生へ(10)

B15062901

石橋の結界の先は「彦部家屋敷」西隅に当り、聖域である。
左手奥に八幡の石祠、右手手前に稲荷の石祠が在る。
八幡は彦部家の氏神と云うことになっているから、
「源氏」の位置付けなのだが、本来は「高階姓」(たかしな)らしい。
高階氏は、天武天皇の皇子、高市皇子に発し、
彼の長屋王を経て、臣下へ列し、高階姓を名乗った。
「彦部家千三百有余年」とは、そのことを云うのであろう。
都では、中下級貴族に過ぎなかったが、平安中期に一族が、
受領に任じられて地方へ下り、下野国の地で清和源氏の嫡流、
頼信、義家と邂逅、縁戚関係を結ぶに至る。
前述のように、源氏の血が入ったと称するわけだ。
その後、義家の子、義国より、武家として、累代の家人に連なる。
義国は下野国で根を張り、足利氏、新田氏の祖となった。
高階氏は、足利氏に仕え「高氏」を名乗る。
南北朝期に尊氏の執事、高師直を出して知られた家系だ。
彦部家は、その「高氏」から分かれた。
鎌倉中期、陸奥の紫波郡彦部郷に領地を得たのに伴い、
現地へ赴き、爾後「彦部氏」を名乗るようになる。
氏神は「竹ヶ岡八幡」とも呼び、足利、新田氏の嚢祖、義国が、
石清水八幡を勧請したと云う伝承に基いて、
彦部家が代々、屋敷内に護持、崇敬してきた。
B15062902
石橋を潜った遣水は、このように主屋の裏へ引き入れられる。
先刻から、密かに想っていたのだが、
この辺り、屋敷の西側後背地は、ホタルの生息には、
好適なのではないだろうか。
ご当主に聞いてみたところ、
やはり、かなり出て居るとのことだった。
B15062903
主屋の裏側はこうなっている。お住まいなのだが、
手前の家屋は、昭和初期の「寄宿舎」だと云う。
つまり、彦部家では、近代まで織物業を営んでおり、
「女工さん」が、常時三十人ほど住み込みで働いていたようだ。
彦部家の近代史についても、一寸語る必要がありそうだ。
(捨身 Canon G1X)

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