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2015年6月11日 (木)

小野路宿にて(15)

B15061001

気持ちのよい尾根道から、やや盛り上がった高みが頂で、
そこが「小野路城址」らしい。
参道のような坂道を辿り、登ってみることにした。
小さな鳥居と社が観えてきた。
B15061002
城址へ坂道を振り返って観たところ。
B15061003
頂上は平場になっている。
中世前期(平安末~鎌倉)の舘跡であるから、
構造は比較的簡素で、ほぼ方形の土塁と空堀で囲まれた、
空間に、居住建物が建って居た感じである。
造られた当初は、一つだった方形空間が、
時代が下がるにつれて、幾つか追加され、
規模が拡大して往ったのだろうか。
周囲にも、段々状の平場らしき場所が観受けられる。
中世世界の小野路宿周辺は「小山田荘」(おやまだ)と呼ばれた。
「小山田別当」を称した、小山田有重は、秩父平氏の出で、
源氏累代の家人、畠山重忠は甥にあたる。
「小野路城」は有重の二男忠重が棲んだと伝わる。
その後、小山田氏は、畠山重忠の乱に連座して、
後嗣の三男、稲毛(小山田)入道重成が滅ぼされ、断絶する。
小山田荘は、やはり北条得宗領へ併呑されたようだ。
万松寺が「北条三つ鱗」を寺紋とするのも、合点が往くわけだ。
B15061004
平場の後背に土塁めいた遺構を見つけた。
土塁の下が一寸窪んでいたが、空堀の痕跡かもしれない。
(捨身 Canon G1X)

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