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2015年6月18日 (木)

小野路宿にて(22)

B15061601

江戸後期の小野路宿を描いた「村絵図」だ。
今回の投稿初回で紹介した案内図の原画になったものだろう。
元和三年(1617)家康の日光改葬時に、この町立てと、
街道の整備が出来上がったと想われるが、
天正十八年(1580)の秀吉小田原攻め以前の、
小田原北条氏治世下でも、既に、ほぼ同じ宿が在ったと、
考えていい。図中、左上から、右下に抜ける、
大山⇔府中道は、そのまま小田原⇔府中道として、
生きていた。その後、八王子道、神奈川道、
布田道と、追加されて往ったのだろう。
左上辺の小野社、万松寺の位置も変わらないが、
「小野路城址」と「小町井戸」は描かれてないようだ。
ただ、鎌倉期以前、その場所に古道が通り、
「宿」が在った可能性がある。
同じく図中、濃い青色の部分は、谷戸田か湿地で、
谷戸奥には、湧水を利用した「溜池」が認められる。
今頃の季節なら、蛍の大乱舞が観られたはずだ。
B15061602
宿名主、小島氏屋敷(現資料館)の玄関先で、
御嶽山のオオカミの御符を見つけた。
何故か懐かしく、ほっとするものを感じる。
B15061604
谷戸奥へ誘うの小径と、
B15061608
収穫間近の麦畑。
寓居最寄りに、こんなワンダースポットが隠れているとは、
正直、予想していなかった。
まだまだ探索が足りぬけれど、とりあえず、次の機会へ譲ろう。
想い立てば、直ぐ往けるのだから…
*次回の探索地が決まるまで、暫し休息を入れ、再開します。
(捨身 Canon G1X)

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