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2015年6月 1日 (月)

小野路宿にて(5)

B15053101

宿名主・小島鹿之助屋敷内より観る「小野路宿」
江戸期の多摩丘陵一帯は、ほぼ幕府直轄領に属し、
村ごとに、旗本等へ宛がわれていた。
細分化された領地は、其々せいぜい数百石程度であったろう。
もとより、各村には、武士など一人も居ない。
村名主が行政一般(徴税と司法警察)を請け負うのである。
名主百姓層には、戦国期の小田原北条氏施政下より続く、
「名家」が多く、名字帯刀、門構え、玄関を許され、
かつての土豪としての誇りを保っていたようだ。
彼らは日常、租税の算定や決算など、公文書作成に、
携わり、高い学識と問題意識を培っていく。
江戸後期になると、江戸近郊の治安が問題になり、
犯人捕縛に動員される、村人たちの手に余る事態が生じる。
そこで、百姓(名字を持ち、自立する)の二男三男たちに、
武術を習わせる、気運が高まって、
幕末期に新撰組を生む素地を用意するわけだ。
B15052304
きれいに修復された蔵、戸口の上に、
武州御嶽社の「狼の御符」が五枚貼られていた。
当地にも「御嶽講」は生きているようだ。
B15053103
「小野路宿」南側の入り口に至る。
宿の鎮守「小野社」と浄土真宗の寺があった。
宿の入り口に、宗教施設を配する定石に従えば、
こちら側が「上宿」と云うことになる。
B15053104
此処で街道は「大山道」と「神奈川道」に分かれる。
右手へ折れる「大山道」(上掲)のほうは、お約束通り、
クランク(筋替え)を呈する。
さて「小野社」へ登ってみよう。
(捨身 Canon G1X)

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