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2015年6月26日 (金)

桐生へ(6)

B15062501

まず、土間へ入ろう。
主屋の規模は正面十八m、奥行約十一mと大きい。
B15062502
向って左半分を占める、表座敷(十二畳半)と奥座敷(十畳)
その隣の、囲炉裏が切ってある広間を示す。
表裏の座敷は、上客用の「晴れの間」であろう。
B15062503
「本当に古い」古民家では、所謂「大黒柱」が存在しない。
この主屋の場合、欅、栗、胡桃など雑木を用い、
径が不揃いな柱ばかりだが、もとより、中世建築の証しである、
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表座敷の障子の上に掛けられた槍が三本。
そう「彦部家」は、由緒正しき武家なのである。
特に、室町期を通じて、京都の足利将軍、
及び鎌倉の関東公方に、親しく近侍した「奉公衆」の一員だった。
嘉吉の乱(1441)で暗殺された将軍義教に、
最後まで付き従い討死。
或いは、永禄の変(1565)でも、夜討に遭った将軍義輝と供に、
「彦部家」の当主親子二人が討死と、波瀾万丈であった。
足利家に対する、これ程までの「忠実さ」は、
一体何処から来るのだろうか。
もう一寸、彼らの家系を辿ってみたい。
(捨身 Canon G1X)

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