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2015年6月29日 (月)

桐生へ(9)

B15062801
さて、あらためて、主屋南側の庭を観てみよう。
規模は大きくないが、室町期に京都の武家で流行った、
池、泉、石、橋を配した回遊式の庭園と云われる。
中世居館の遺跡から、よく発掘されるものだ。
既述のように「彦部家」は、永禄の変(三好の乱 1565)で、
当主親子が討死した後、幼少の継嗣が、既に京都より、
当地に下っていた当主の弟を頼り、土着した。
鎌倉期より、分家が地頭として治めていたのだが、
その跡を継承する形で、同じ場所に館を構えたようだ。
それが、現在の「彦部家屋敷」と考えられている。
B15062802
現ご当主の案内で、さらに庭の奥へ向かう。
背後の山裾に面した、屋敷の西側だ。
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山裾には、お約束通り、湧水があり、
屋敷内へ引き込み、池、水掘、生活用水に使われる。
斜面を覆う美しい竹林は「彦部家の竹ヶ岡の竹」として、
質の良さで知られ、慶長五年(1600)関ヶ原合戦の折、
近隣の小山に在陣した、徳川勢のために、
旗竿を用立てたと云う由緒がある。
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湧水から流れ出る遣水に、結界を示す石橋が架かる。
石橋は小さいながらも、優れた細工だ。
近年まで、バラバラの状態で、蔵の隅に置かれていたのを、
補修し、再び組み立てたのだそうだ。
此処より、屋敷の聖域になり、氏神と屋敷神が祀られる。
もとより、氏神は「彦部家」の嚢祖に深く関るわけで、
その云われについても、触れねばなるまい。
(捨身 Canon G1X)

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