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2015年7月 4日 (土)

桐生へ(14)

B15070301

さて、登った「櫓台」の直ぐ下が、
「彦部家屋敷」の「搦め手口」になっており、観下ろすことができる。
上掲は「穀倉」の後ろに開く木戸。
玉石を「矢筈」に組んだ石積みの高さは2m程度か。
城郭史家によると、江戸期に積み直したものだろうとのことだが、
ご当主は、天正期以前の構築を主張されている。
確かに、同時代の、関東の戦国期城郭(八王子城鉢形城
と比べ、所謂「野面積み」でないなど、違和感は否定出来まい。
だが、彦部家は、京で足利将軍家のために、金閣寺や、
銀閣寺裏の山城の普請奉行を仰せ付かった経験があるから、
高度な石積みの技術を持っていたはずと云う、
ご当主の見解も首肯出来る。
まぁ、両説とも一理ありで、痛み分けかな。
B15070302
「搦め手道」は、まず此処で、一度屈曲(クランク)して…
B15070303
さらに屈曲する。
さすがに、この辺りは観応えがある。
B15070304
そして空堀と木橋、典型的な「虎口」だ。
このように、北隅の「搦め手口」が厳重に固められたのは、
緊張する「杓子山城」に直面する方角だからであろう。
(捨身 Canon G1X)

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