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2015年8月26日 (水)

伊豆の国にて(11)

B15082501

三の丸と権現曲輪(ごんげんくるわ)を別つ「堀切り」に、
付けられた小径を登って往くと、
左右の斜面上に土塁が残っていることに気付く。
上掲は、北側の三の丸の土塁だ。
この向こうは、現在、テニスコートに変わっている。
B15082502
登ってきた小径を振り返ったところ。
左側が三の丸、右側が権現曲輪だ。
右上の白い建物は、権現曲輪の名称の由来となった、
熊野社である。
明応年間(1492~1501)駿東の興国寺城より、
伊豆へ侵攻した北条早雲(伊勢新九郎盛時→伊勢宗瑞)は、
韮山城に入り、城の鎮守として、熊野権現を勧請したようだ。
B15082503
この辺りの標高は二十メートルに満たないので、
直ぐ尾根上に取り付く。
西側の県立高校の校庭が観え、校内へ降りる階段がある。
校庭付近の小字を「御座敷」と云い、
城主が日常棲んだ居館跡と考えられている。
発掘調査も行われ、二重の水濠や庭園が検出されたが、
主殿は未だ見つかってない。
B15082504
土塁の間を通って、隣の権現曲輪へ向おう。
(捨身 Canon EOS M3)

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