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2015年8月29日 (土)

伊豆の国にて(14)

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本丸に着いた。
この規模の山城としては、やや小さめの曲輪だろう。
尾根の最高所に当たり、やはり土塁が廻っている。
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再び、北側の、三嶋、御殿場、箱根山方向を望む。
さすがに、申し分ない眺望だ。
韮山城は、北条早雲(伊勢宗瑞)の終の棲家となったが、
実際に攻められたのは、二度ほどだと云われる。
元亀元年(1570)武田信玄の伊豆駿河侵攻と、
謂うまでもなく、天正十八年(1590)秀吉の小田原攻めである。
後者は、三月末から六月下旬までの三か月間、
籠城に耐え、最終的には降伏開城する。
その時の城主は北条氏規、
(うじのり=氏康の五男、八王子城主氏照の同母弟)
彼は主戦派でなく、宥和派だったためか、
戦後も生き残り、河内狭山藩一万石の始祖となった。
包囲戦も、八王子城ような悲劇にはならなかったようだ。
両者の運命を分けた所以については、後で触れよう。
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西側へ視線を転じると、韮山駅からやって来た県道と、
ほぼ中央に観える低い独立した小峰を「守山」(もりやま)と呼び、
麓に、これから探索する願成就院や北条氏邸跡がある。
「守山」の前を、中世の下田街道が南北に縦断し、
道に沿って、お約束通り、宿と市庭があった。
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本丸の奥は、細い尾根道が続き、「塩蔵」と伝わる、
(焔硝蔵=えんしょうぐら 火薬庫のことだろう)小曲輪へ至る。
その先の尾根は、先程歩行してきた切通し道が抜ける、
深い掘切りによって断ち切られていたわけだ。
(捨身 Canon EOS M3)

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