« 伊豆の国にて(14) | トップページ | 伊豆の国にて(16) »

2015年8月30日 (日)

伊豆の国にて(15)

B15082901

韮山城南端の曲輪「塩蔵」(焔硝蔵か)跡を望む。
小田原北条氏初代の北条早雲(伊勢宗瑞)は、
明応二年(1493)の伊豆へ侵攻後も、韮山を離れることなく、
永正十六年(1519)この城で没した。
法名を「早雲寺殿天岳宗瑞」と云う。
彼は、よほど当地が気に入っていたようだ。
「天岳」(てんがく)とは、南側の尾根続きに聳える、
朝な夕なに眺めていたのであろうか。
ついでながら、「早雲」の庵号は、
箱根・湯本に設けた隠居所に因むと考えられる。
近くを流れる「早川」と「須雲川」から一字ずつ採ったと云う説も、
然もありそうで、首肯出来るのだ。
小田原北条記に拠ると、こんな面白い挿話が伝わっている。
韮山城に入った翌年の正月二日の夜、
早雲は夢を観る。
…広々とした野に、二本の大杉が生えていた。
 そこへ一匹の鼠が現れ、根元から食いちぎり、
 倒してしまう。すると鼠は、虎に変じていた…
夢から覚めた早雲は、自ら夢を判じ、
「二本の杉は、両上杉家のことだ。
 自分は子年の生まれであるから、
 やがて杉を食い倒し、滅ぼす者なのだろう。
 これは、当家が関東を平らげ、子々孫々に亘って、
 東国の主となることを示す吉夢なのだ」
その後の、小田原北条氏の興隆は謂うまでもない。
B15082902
東側の「城池」を見下す。
背後の山並みは、かなり険阻だ。
各々の尾根上には、天正十八年(1590)秀吉の小田原攻めの際、
包囲軍の「付け城」(攻城陣地)が築かれたようだ。
B15082903
あらためて、これから探索に向かう、
西側の「守山」(もりやま)方向を遠望してみた。
猛暑の中、山城を下って、もう一寸歩かねばなるまい。
やれやれ…
B15082904
最後の城主、早雲から数えて四代の北条氏規は、
若き頃、今川家へ人質に出されていたが、隣りの居所に、
家康が棲み、昵懇の間であったと云う。
韮山城包囲戦の、降伏開城の仲介に立ったのも家康だった。
氏規は、他の北条家の人々よりも、諸国の情勢に明るく、
慎重で、外交感覚があったのだろうか。
大きな犠牲を出さなかったのは、優れた功績と謂っていい。
関東の内のみに逼塞し、拘りが強かった兄たちとの、
大きな違いなのかもしれない。
再び、小田原北条記に拠れば、
氏規は、秀吉に切腹を迫られた兄たち、
氏政、氏照の介錯を命じられる。
介錯を終えた後、彼も自害しようとしたが、
家康に、予め言い含められた井伊直政が、
すかさず抱き止め、制止したとされる。
家康も見込むほどの男だったと信じたい。
城内で見つけたクマゼミの死骸に、
かつて武者どもが、この城で観た夢を想う。
(捨身 Canon EOS M3)

|

« 伊豆の国にて(14) | トップページ | 伊豆の国にて(16) »

歴史(中世史)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 伊豆の国にて(14) | トップページ | 伊豆の国にて(16) »