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2015年9月 1日 (火)

伊豆の国にて(17)

B15083101

願成就院前に着いた。
吾妻鏡、文治五年(1189)六月六日の条に拠れば、
北条時政が、頼朝の奥州攻めにあたって、
戦勝祈願のために建立したことになっている。
(ついでながら、戦国期の小田原北条氏と区別の必要上、
 以下、鎌倉北条氏と呼ぶことにする)
創建時には、鎌倉北条氏、時政、義時、泰時の三代に亘って、
広大な浄土式苑池を擁する大伽藍が整備され、
一族の氏寺として、威容を誇っていたようだ。
最近、この寺が注目を集めているのは、
伝来する、阿弥陀如来坐像、不動明王像、
衿羯羅童子(こんがら)像、制叱迦童子(せいたか)像、
毘沙門天像が、運慶の数少ない真作と認められ、
一昨年、異例の一括で、国宝指定されたことだろう。
その際、筆者も、東博で毘沙門天像を観たが、
全像が揃っているところは未だなのだ。
B15083102
正面が運慶の国宝仏を安置した「大御堂」だ。
鎌倉期の伽藍は、平泉の毛越寺(もうつうじ)や、
鎌倉の永福寺(ようふくじ)を模した壮麗なものだったが、
戦国期の、早雲の伊豆侵攻や、秀吉の小田原攻めで、
全て焼亡してしまう。
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境内の左手に、北条時政の墓所と云うのがある。
B15083104
墓域は綺麗に手入れされていた。
真新しい石塔ばかりで、古いのは、
中央の宝篋印塔モドキの層塔だろうが、
笠の数が奇数でないなど、疑わしい点が多い。
中世へ遡るかもしれないが、オリジナルと謂えず、
もとより、当時(鎌倉初期)のものではないだろう。
(捨身 Canon EOS M3)

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