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2015年9月 6日 (日)

伊豆の国にて(22)

B15090501

鎌倉北条氏の館が在った谷戸(谷戸と呼びたい!)は、
整備中のため、現在立ち入れないようだ。
右横に「守山」の頂上へ登る道があり、
道脇から、谷戸奥(上掲)を撮ってみた。
やはり段状になっており、鎌倉の谷戸に酷似している。
彼らは、似たような地形を好んだのだろうか。
韮山のこの辺りは「北条」と呼ばれる郷だった。
その地名を名字にするわけだから、本貫地=故郷なのである。
しかし、出自については、確かな史料が無く、実は不明なのだ。
幾つか伝わる系図に拠れば、坂東平氏の一流を称する。
実際、平姓を名乗っているので、何らかの関係はあると想うが、
辿れるのは、時政の二代前までと云う。
伊豆国府、三嶋の最寄りに棲んだので、
在庁官人の一人だろうという説もある。
いずれにしても「北条」は広い領地ではなく、
三浦、千葉、横山のような、坂東の大武士団とは程遠い、
極めて地味な、弱小武士団だったのは、間違いない。
発掘調査では、12世紀中頃より、館が構えられ、
数回の建て替えと、拡張を経て、
12世紀末~13世紀初頭に最盛期を迎え、
13世紀末には、衰退廃絶したのが判っている。
その間、本拠地が鎌倉へ移ったが、
一族の人々は、滅亡の時まで
本貫のこの地を、決して忘れることはなかった。
後ほど、後日譚にも触れよう。
B15090502
「守山」頂上へ続く道だ。
時間が無くて登らなかったが、気配だけは感じられた。
「モリヤマ信仰」の祖霊祭祀の庭を、
何故わざわざ、一族の本拠地に選んだのか。
単なる偶然の一致とは考えられず、
何か両者を繋ぐものがあったのかもしれない。
B15090503
今も、何事かを秘める北条氏館跡。
前述の如く、彼らが、この谷戸に館を構えたのは、
ほぼ時政か、せいぜい一、二代前の時代とみていい。
だとすれば、彼らは一体、
何処からやって来たのだろうか?
(捨身 Canon EOS M3)

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