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2015年9月24日 (木)

鎌倉 二つの谷戸へ(5)

B15092301

かつての「二階堂大路」を辿る。
やがて、傍らをせせらぎが流れるが、
これも二階堂川と呼ぶらしい。
B15092302
吾妻鏡に記される如く「二階堂大路」の両側は、
ぎっしりと「町屋」が建ち並んでおり、
頼朝の御所に最寄りのため、有力武士たちも集住した。
道の右側(東側)杉本寺(大倉観音堂)との間には、
北条義時の「大倉亭」が在ったようだ。
B15092303
テニスコート脇を進む。
有名な、吾妻鏡、文治五年(1189)七月十七日の条に、
頼朝の奥州平泉攻めの侵攻ルートが挙げられている。
三手に分けられたが、頼朝が率いた本隊が通ったのが、
この「二階堂大路」だったと云われる。
「大手」とも記されるから、「奥大道」(奥州道)に、
接続する主要な経路だった可能性もあろう。
ついでながら、文献上「下道」(下の道)「中路」(中の道)の、
呼称が見出せる唯一の例としても知られ、
世上、所謂「鎌倉道」を指すとされることが多いが、
もとより、両者をイコールで繋げる論拠は無い。
筆者は最近、中世世界には「鎌倉道」なるものは、
存在しなかったのではないかと、考えるようになったので、
ことさら触れたわけだ。
まぁ、追々解き明かして往こうと想う。
B15092304
さて、公園めいた平場へ出た。
「永福寺跡」(ようふくじ)だ。
(捨身 Canon EOS M3)

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