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2015年10月 2日 (金)

鎌倉 二つの谷戸へ(13)

B15100101

「勝長寿院跡」の谷戸を「大御堂ヶ谷」(おおみどうがやつ)と呼ぶ。
文治元年(1185)九月三日、頼朝は、父義朝と、
ともに死んだ乳母子(めのとご)の鎌田政清を、
この地に御堂を建立し、葬った。
既に頼朝は、後白河院へ要請して、
平治の乱以後、京の獄舎に埋もれていた、
義朝と政清の首を探し出していた。
その経緯には、文覚が深く関り、弟子たちに、
義朝らの遺骨を首にかけさせ、鎌倉へ送ったのである。
「大御堂ヶ谷」の入り口に、文覚が屋敷を構えたのも、
常に、憤死した義朝らの霊を鎮め、供養させる、
頼朝の意向に沿ったものだったかもしれない。
「勝長寿院」は、後に実朝や政子の墓所も兼ね、
伽藍が整い、鶴岡八幡宮寺、永福寺と並ぶ大寺院となるが、
何度かの火災に見舞われ、遅くとも戦国期頃には、
廃絶してしまったようだ。
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谷戸の中を流れる「大御堂川」
其処彼処に、古木も観受けられる。
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木立の中に「勝長寿院跡」の石碑が立っていた。
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背後に、義朝と政清の供養塔が並ぶ。
五輪塔は新しいものだろう。
さて、当地が今回の終着点になる。
帰りに、八幡宮境内の国宝館へ立ち寄り、
中世の仏たちと逢っていこうか。
週末恒例の展示説明会には、間に合いそうだ。
………………………………………………………………………
*暫時休息を頂きます。ご容赦を…
*その間はツィッターにて…
(捨身 Canon EOS M3)

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