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2015年10月の記事

2015年10月28日 (水)

伊豆の国にて…つけたりとして(16)

B15102701

賑わう本殿前だ。
背後に、幹回り十六mの楠の巨木があるのだが、
うっかり撮り忘れた。
ここから枝振りだけでも、窺えるだろうか。
B15102702
三福・熊野社の創建は、もとより中世世界へ遡る。
嘉吉三年(1443)の棟札が見つかっていると云うから、
少なくとも、それ以前だろう。
新田義貞の弟、脇屋義助の子孫を名乗る、
三福の旧家、脇田氏が勧請したと伝わるが、
一方で、太平洋側を北上、沼津より、狩野川を遡上して、
当地に至った熊野関係者、或いは、熊野修験、
御師たちの影も感じられよう。
B15102703
参道の楠の巨木群だ。
推定樹齢不明と伺ったが、五百年は超えるのでないだろうか。
やはり想い出すのは、
所謂「常盤木」(ときわぎ=常緑樹)の巨木は、
巨石同様、仏神の「憑代」と考えられ、屡、神体と看做された。
霊力も、石に負けないものだったはずだ。
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こんな巨木たちに見守られた境内は、今でも立派に、
「鎮守の杜」としての役割を果たしているように観えた。
(捨身 Canon EOS M3)
…………………………………………………………………………
*「伊豆の国にて…つけたりとして」は、今回で一旦区切りとし、
 暫時、休息を頂きます。ご容赦を…
*その間はツイッターにて…

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2015年10月27日 (火)

伊豆の国にて…つけたりとして(15)

B15102601

無事演納した。
「黒式尉」の面(おもて)を外し、神から少年に戻る。
皆、表情が和らぐ一瞬だ。
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一同打ち揃って「御福分け」(おふくわけ)が始まった。
手に手に菓子やパンを取り、観客へ投げる。
ワッとあがる歓声と笑顔。
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用意の箱も、あっという間に空に。
B15102604
観客が帰れば、舞台上で、
演納者だけの「直会」(なおらい)となる。
やっと、ほっとした空気に包まれた。
ほんとうに、お疲れ様でした。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月26日 (月)

伊豆の国にて…つけたりとして(14)

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躍動感溢れる「鈴の段」
鈴の音が響き渡る。
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既に演じ終えた「翁大夫」「千代」は、
もとの位置に着座して控える。
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種蒔きや、田植えの所作が、
それと判るように、取り入れられていると云う。
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少年の小さな身体が、不思議に大きく観える。
立派に舞い納めた(拍手!)
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月25日 (日)

伊豆の国にて…つけたりとして(13)

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「黒式尉」が「直面」(ひためん)で舞う、前段を「揉みの段」
或いは「揉み出し」と呼び、稲籾の発芽を促す所作とも云う。
「地方」(じかた)のほうも、小鼓に加えて、大鼓が入り、
一層、リズミカルになって往くので、見せ場である。
さて、ここで「黒式尉」の面を着ける。
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着け終わって、一寸「照らし」たところを撮ってみた。
なかなか、様になって居るな。
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まず、「千代」と並んで、問答が演じられる。
三番叟では、よく知られた場面だ。
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鈴を手にして、満を持す。
愈々、後段の「鈴の段」が始まるわけだ。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月24日 (土)

伊豆の国にて…つけたりとして(12)

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「黒式尉」の舞が始まった。
ここで一寸、装束について触れると、
被りものは「梨打烏帽子」(なしうちえぼし)に鉢巻、
紐無しの短い上衣は「法被」(はっぴ)
朱色の膝でたくし上げた袴は「半切」(はんぎり)と呼ぶ。
「千代」も同様な装束だが、
被りものは「折烏帽子」(おりえぼし=侍烏帽子)だ。
「翁大夫」のほうは、典型的な「翁」を表す装束で、
被りものは「立烏帽子」(たてえぼし)
唐渡りの「蜀江錦」(しょっこうにしき)の「狩衣」(かりぎぬ)と、
裾口がゆったりした「大口袴」(おおくち)だった。
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「反閇」(へんばい)を踏む。
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足踏みに合わせて「バシッバシッ」と、
拍子木で舞台の床を叩くのも「頭屋」の役目だ。
B15102304
パッと背を向ければ、鶴と亀。
有り触れた「吉祥柄」だけど、
この舞いには、まさに相応しく、一層栄えるのだ。
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佳境に入ってきた。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月23日 (金)

伊豆の国にて…つけたりとして(11)

B15102201

無事、翁を舞い納めた。
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舞台右袖に戻り、面の紐を解いて貰う。
「神」から人へ戻る瞬間だ。
B15102203
外れた…
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「直面」(ひためん)の儘、舞台中央に暫し座す。
表情に、重責を終えた清々しさが溢れる。
なかなかいい風情だ。
再び、塩が撒かれ、
いよいよ「黒式尉」の出番になる。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月22日 (木)

伊豆の国にて…つけたりとして(10)

B15102101

「白式尉」「黒式尉」の由来については、
やはり、奈良坂の奈良豆比古社の所伝が気になる。
「白癩」に罹患した「春日王」
そして「夙冠者黒人」(しゅくのかじゃくろひと)と呼ばれた、
子の「淨人王」「安貴王」兄弟のことだ。
さらに云えば、「癩」には「白癩」と「黒癩」があったこと。
もとより、三人の翁が舞う、奈良豆比古社の「翁舞」は、
その物語を踏まえている。
深淵過ぎる起源だが、どうしても覗いてみたくなるわけだ。
B15102102
さて、大きな謎を抱いた儘、眼前の翁の舞は続く。
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「凡そ、千年の鶴は、万歳楽と謳うたり…」
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「天下泰平、国土安穏の今日の御祈祷なり…」
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月21日 (水)

伊豆の国にて…つけたりとして(9)

B15102001

「反閇」(へんばい)を踏む「千代」
行った、足踏み、或いは足づかいから、
能狂言へ受け継がれた所作だ。
本来は、大地に潜む悪鬼悪霊を踏み敷き、払う呪法である。
足踏みに合わせて、右袖に座する「頭屋」が、
舞台の床を「バシッバシッ」と拍子木で打つのが小気味好い。
B15102002
その間に「翁大夫」は「白式尉」の面を付け、控えている。
舞を終えた「千代」が戻ってきた。
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替わって「翁大夫」が立ち上がり、
扇を開いて、諸手を水平に広げ、舞台真ん中へ進む。
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すくっと、正面に向き直った。
「翁」の舞が始まる。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月20日 (火)

伊豆の国にて…つけたりとして(8)

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舞台右袖に、あらためて座を定めた、
「頭屋」「翁大夫」「千代」の面々。
出番を待つのみだ。
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一方「黒式尉」は、舞台中央に「片膝立」(かたひざたて)で座る。
今でも用いられる、能狂言の「控え」の姿勢だが、
中世世界では、女性をはじめ、よくとられた座法である。
ついでながら、筆者は、中世人をイメージさせる、
典型的な仕草として、好ましく想って居る。
気のせいか、彼の面立ちも、中世人っぽく観えてきた。
B15101903
ここで「能管」と小鼓が鳴る。
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「千代」の舞が始まった。
「君の千歳を経んことを、天津乙女の羽衣や、
 鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、日照るとも絶えずとうたり…」
有名な「延年」の詞だ。
少年の声は、神がかりに相応しく、甲高く響き渡る。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月19日 (月)

伊豆の国にて…つけたりとして(7)

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「頭屋」より、唐草の蒔絵手箱を受け取る「千代」
「面箱」(めんばこ)と云い、「白式尉」(はくしきじょう)と、
「黒式尉」(こくしきじょう)の「翁面」が納めてある。
もとより神体を意味するから、箱は豪華で、扱いも丁重だ。
B15101802
小鼓、大鼓を取り、「地方」衆(じかた)の前に置く。
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清めの塩が播かれる。
一連の所作は、無言で淡々と進むが、
静と動の対比で、想わず惹き込まれてしまう。
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「千代」が「面箱」を恭しく捧げ持ち、
演納者は舞台の右袖へ座を移す。
右手、屏風前の二人は「地謡」(じうたい)を務める人たちだ。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月18日 (日)

伊豆の国にて…つけたりとして(6)

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「頭屋」(とうや)と云うのは、祭礼を差配する、
世話役のような役目だが、中世世界の惣村以来、
鎮守社を支えていた「宮座」を構成する「おとな」の中から、
一年交代で選ばれることが多かった。
三福熊野社の場合、「翁大夫」を演じる、
村内の嫡男を出した家の、当主が務めるようだ。
(後ほど、詳細が判明したら、補足するとしよう)
まず、「頭屋」が、舞台上の座を占める、
演能者、地方、地謡(じうたい)二人、地区の代表者たちに、
御神酒の杯を勧めるところから始まる。
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「翁大夫」へ一献。
隣の「黒式尉」「千代」にも、杯は廻ったが、
もとより未成年のため、口を付ける所作のみだったので、
ご心配なく。
やはり父子だと想う。どことなく風情がね。
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中世世界なら、「宮座」の「上臈」(年寄り)たちだが、
今では、差し詰め、自治会役員の皆さんと云った感じか。
「頭屋」の方は、終始威儀を崩さず、堂に入っていた。
文句無く、いい顔していたな。
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杯が二巡した後、一斉に衣擦れを響かせ、
「地方」が後方の壇上へ昇って、着座する。
空気が張りつめて往くのを実感する瞬間だ。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月17日 (土)

伊豆の国にて…つけたりとして(5)

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ここで「三福熊野社・種蒔三番叟」の由緒に触れておこう。
歴史は、慶長年間(1596~1615)に遡ると考えられている。
家康の懐刀と云われ、初期の徳川政権で、
各地の広大な直轄領や、金銀山の経営に、
辣腕を振るった、大久保長安(ながやす)
彼が伊豆奉行に補任された際に、
当国の各社へ「三番叟」を奉納したのが始まりと伝わる。
B15101602
長安の本姓は「秦氏」で、
大和(奈良)猿楽、金春流直系の大蔵大夫家の出身だった。
父信安は、戦国期に諸国を流浪後、
甲斐の武田信玄に能楽師として仕えた。
次男の長安も、経理の才を認められ、
信玄に取立てられるが、程なく武田家は滅亡、
家康に拾われて、異例の立身を遂げるのである。
もとより、猿楽能の素養はプロと変わらないから、
彼方此方で、技を伝授することもあったらしい。
金山開発で赴任した佐渡では、
今でも、長安由来を称する、村々の演能が伝承されている。
B15101603
さて「地方」(じかた)も準備が整ったようだ。
大鼓、小鼓、笛(能管)が並べられる。
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着座した「翁大夫」と「黒式尉」「千代」
マイクの位置を直し、最後の身繕いを済ます。
何とも、晴れ晴れとした表情がいい。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月16日 (金)

伊豆の国にて…つけたりとして(4)

B15101103

演納が始まる刻限が近づいた。
スタンバイする「翁大夫」「黒式尉」「千代」の面々。
各々手にするのは「中啓」(ちゅうけい)と云って、
折りたたんだ状態で、上端が銀杏葉様に広がった扇だ。
中世世界では、武家の正装の持物だったが、
能狂言や歌舞伎の舞台では、今でも用いる。
後方の裃姿の少年たちは、所謂「囃子方」(はやしかた)である。
当地では「地方」(じかた)と呼ばれ、
笛一人、小鼓三人、大鼓一人の構成だ。
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いよいよ舞台へ。
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所定の位置に進む。
B15101503
まず舞台の左袖に着座するようだ。
おっと、またぱらぱらと雨が降ってきた。
空模様と、露天の客席が気になるのか、
想わず視線が流れる一瞬だ。
ついでながら、上掲二枚のショットから、
望遠ズームに交換している。
ご厚意で、先頭真ん中の席を確保出来た。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月15日 (木)

伊豆の国にて…つけたりとして(3)

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熊野社の境内へ無事入る。
ほっとした表情で微笑む、羽織姿の男性は、
「翁大夫」の父君のようだ。
因みに「翁大夫」の青年は二十五歳、
続く「黒式尉」の少年は中二、「千代」は小五とか。
さほど広くない境内だが、社叢は鬱蒼としており、
楠の巨木群が認められた。
それも興味深いので、後ほど触れよう。
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さて、舞台の準備が整った。
演納の開始まで、小一時間ほどか。
その間に腹ごしらえと往こう。
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神社脇の自治会館内に、お弁当を用意して頂いた。
今を時めく「韮山反射炉弁当」である。
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ごく普通の美味しい松花堂(風?)弁当だった。
感謝哉…
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月14日 (水)

伊豆の国にて…つけたりとして(2)

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「御練り」の先頭が観えてきた。
錫杖を持って、地を叩き、大音声(警蹕)を発しながら、
「露払い」が先導する。
行列に先だって、路上に潜む邪霊魔物を払うのが、彼らの役目だ。
中世世界では、祇園祭りのように、
特定の職能者が務めるのが決まりだったが、
現代は、氏子の青年たちがその役をこなす。
顔を白く塗り、化粧を施すことで、魔を払う霊力を持つ、
人ならぬ「異類」を装うのであろうか。
B15101302
「露払い」を差配する「鼻高天狗面」を被った異形の神。
二俣に別れた「神木」で、地面を突いて進む。
如何なる意味があるのか?
手元に情報が無いので、何とも謂い難いが、
後ほどあらためて、地元の研究者の方に聞いてみよう。
B15101303
「朱傘」を差し掛けられた「翁」(大夫)と、
「黒式尉」(くろきのじょう→こくしきじょう)
「千代」(千歳のことか)ら、演納者たちが続く。
もとより「朱傘」は、高貴なる者の印しであろう。
B15101304
鳥居をくぐる「翁大夫」
さすがに緊張感が漂い始める。
一寸、此方を視遣る眼差しが印象的だった。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月13日 (火)

伊豆の国にて…つけたりとして(1)

B15101201

一昨日、筆者が交流を持つ、歴史探索会主催のツアーで、
同市を再訪する機会があった。
韮山の隣町、三福地区の熊野社の秋例大祭で演じられる、
「種蒔三番叟」(たねまきさんばそう)を見学したのだ。
まず上掲は、前回訪ねなかった「反射炉」
話題の「世界遺産」と云うことで、
気を利かして、立ち寄り先に加えられたのだが、
もとより、コメントしようがない。
大型バスが何台も乗り付け、
長蛇の行が出来るほどの賑わいだった。
ついでながら、ボランティアガイドの方の説明によれば、
明治期以降、地震や老朽化で、何度も崩壊しそうになり、
戦後から、鋼鉄製のX型枠を嵌め込んで、
辛うじて保持しているのだそうだ。
現存する、貴重な幕末創建時の煉瓦は、七割程度とも。
B15101202
さて「反射炉」のほうは、早々に立ち去るとして、
「三番叟」が演じられる「三福」の集落へ入った。
B15101203
熊野社々頭である。
B15101204
開演時間の午後一時近くになると、
見物の人々が三々五々集まって来た。
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集落の内を「御練り」(おねり)していた、
演納者たちの行列も戻ってきたようだ。
いよいよ始まるわけだ。
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月 2日 (金)

鎌倉 二つの谷戸へ(13)

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「勝長寿院跡」の谷戸を「大御堂ヶ谷」(おおみどうがやつ)と呼ぶ。
文治元年(1185)九月三日、頼朝は、父義朝と、
ともに死んだ乳母子(めのとご)の鎌田政清を、
この地に御堂を建立し、葬った。
既に頼朝は、後白河院へ要請して、
平治の乱以後、京の獄舎に埋もれていた、
義朝と政清の首を探し出していた。
その経緯には、文覚が深く関り、弟子たちに、
義朝らの遺骨を首にかけさせ、鎌倉へ送ったのである。
「大御堂ヶ谷」の入り口に、文覚が屋敷を構えたのも、
常に、憤死した義朝らの霊を鎮め、供養させる、
頼朝の意向に沿ったものだったかもしれない。
「勝長寿院」は、後に実朝や政子の墓所も兼ね、
伽藍が整い、鶴岡八幡宮寺、永福寺と並ぶ大寺院となるが、
何度かの火災に見舞われ、遅くとも戦国期頃には、
廃絶してしまったようだ。
B15100102
谷戸の中を流れる「大御堂川」
其処彼処に、古木も観受けられる。
B15100103
木立の中に「勝長寿院跡」の石碑が立っていた。
B15100104
背後に、義朝と政清の供養塔が並ぶ。
五輪塔は新しいものだろう。
さて、当地が今回の終着点になる。
帰りに、八幡宮境内の国宝館へ立ち寄り、
中世の仏たちと逢っていこうか。
週末恒例の展示説明会には、間に合いそうだ。
………………………………………………………………………
*暫時休息を頂きます。ご容赦を…
*その間はツィッターにて…
(捨身 Canon EOS M3)

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2015年10月 1日 (木)

鎌倉 二つの谷戸へ(12)

B15093001

「大御堂橋」より滑川の上流方向を観る。
朝比奈峠山中に発するこの川は、
鎌倉の町の基準線を構成すると謂ってもいい。
もとより大河ではないが、水量は豊かだ。
B15093002
橋を振り返ったところ。
先刻の大御堂橋信号が観える。
朝比奈峠を下り、鎌倉に入った六浦道は、
ほぼ滑川に沿って、走っているわけだ。
B15093003
「大御堂橋」を渡ると「文覚上人屋敷跡」の碑が立つ。
文覚は、頼朝と伊豆の流人時代以来の昵懇で、
荒武者上がりの僧、と云うより無乃、修験者である。
学が無い上に、酷く怪しげな宗教者にも拘らず、
加持祈祷の威力は、文句無しだった。
だが、見掛けの粗暴さに反して、義理人情に篤い面を持ち、
何とも憎めない男でもあったのだろう。
あの平家物語の、頼朝に挙兵を勧めるくだりは、
創作にしても、世上そうだったと信じさせるに足る、
十分な経緯があったのではと想う。
大倉御所最寄りの当地に、宿所を構えたと、
伝わっているのは、不思議ではないのだ。
鎌倉草創に、深く関ったキイパースンの一人と考えたい。
B15093004
「勝長寿院跡」の谷戸へ続く小径が現れた。
(捨身 Canon EOS M3)

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