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2015年12月の記事

2015年12月31日 (木)

説経節「をぐり」を読む(48)

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常陸国に戻った小栗、二代にわたる長者として、栄華を極めたが、

「生者必滅の習い」は逃れ難く、ついに八十三歳で大往生を遂げる。

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もとより「大剛」の小栗であるから、

如来、菩薩、諸天、明王を問わず、八百万の神々に至るまで、

その臨終に来迎したのであった。

岩佐又兵衛の絵巻では、その様子を、些かユーモラスだが、

ここぞと力を込めて描いている。

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後に人々は、あれほどの「弓取り」(武者)小栗を、

神へ祀り上げないわけにはいかなかった。

美濃国安八郡墨俣の正八幡(墨俣八幡社)である。

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照手も「十八町下」(約二キロ)離れた処に、

「契り結ぶ」(結社=むすぶ)神として祀られた。

上掲の如く、往時はかなりの賑わいを観せたようだが、

両社とも、小社ながら現存するとのことだ。

さて、これにて説経節「をぐり」読み切りとなる。

「所も繁盛、御代もめでたう、国も豊かにめでたかりけり」

………………………………………………………………………

13年一月八日の初回以来、計48回の長きに亘って、

お付き合い下さり、有難うございました。

年末年始、暫時休息を頂きます。ご容赦を…

(この間はツイッターにて)

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2015年12月30日 (水)

説経節「をぐり」を読む(47)

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小栗の毒殺を命じた横山殿は、娘照手の取り成しで、

どうにか復讐を免れることが出来た。

「をぐり」が盛んに語られ、世が収まり、規範が固まってくる、

江戸初期の空気を反映したものか。

戦国真っ直中の頃ならば、子が親を、親が子と云うのは、

半ば公然のことであった。若き武田信玄は、実父を放逐し、

後年、今度は嫡子の反逆に遭い、自害へ追い込んだ。

類似の例も少なくあるまい。

だが、父横山殿に小栗の毒殺を入れ知恵した三男三郎は、

罪を免れず、莚に巻かれて、西の海へ投げ込まれた。

「簀巻」(すまき)或いは「ふしづけ」と呼ばれ、

謡曲「鵜飼」にも出てくる、中世世界ではよく行われた刑罰である。

さらに、照手を虐め、人買い商人に売り払った、

「ゆきとせが浦の姥」には、もっと悲惨な末路が待っていた。

峠や津、街道筋で、肩から下を埋め、

通行人に竹鋸で首を引かせる「鋸引き」だ。

信長を狙撃した「杉谷善住坊」が処せられたことでも知られる。

斯くて「仇は仇で」報いられたわけだ。

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2015年12月28日 (月)

説経節「をぐり」を読む(46)

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「恩は恩、仇は仇で報ずべし…」と小栗は、
 (この台詞、どこか甲陽軍鑑に出てくる、
  有名な信玄作の歌と云う、
  ~人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり~
  を想起させる。歌自体は同時代のものか、
    かなり疑わしいが=江戸初期の後補か?
  戦国期に、こんな処世訓が語られた可能性はあると想う)
横山殿から贈られた黄金を使い、
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小栗は訪ね探し、恩賞を与えた。
さて、恩は滞り無く返したが、仇の方はどうなったのだろうか。
もとより「をぐり」が成立したのは、中世末の戦国期である。
中世世界ではよく観られた、陰惨で復讐めいた刑罰が免れなった。

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2015年12月26日 (土)

説経節「をぐり」を読む(45)

B15122401

説経節「をぐり」を通底するのは、既に観てきたように、

観音信仰や熊野権現の霊験譚、時宗との深い関り、

あるいは、因果応報、貴種流離譚であったりするのだが、

物語の終盤で、主人公小栗の口より出る、

「黄泉帰り仕る」と云う台詞も見逃せない。

仮に、一寸乱暴ではあるが、

「をぐり」を一言で括れと謂われるならば、これであろうか。

「黄泉帰り」とは、究極の「目出度き」霊験譚なのだ。

さて小栗は、美濃国青墓宿のよろずや君の長殿を許して、

恩賞を与え、照手と供に常陸国へ戻った。

今度は、毒殺した横山殿に復讐せんと、

七千余騎の兵を集め、まさに出陣の態である。

横山殿は「いにしへの小栗が黄泉帰りを仕り」

無敵の存在になったと肝をつぶし、

空堀に水を入れ、城郭を構えて守りを固める。

しかし、照手の諌めで、小栗は出陣を思い止まった。

娘照手からの書状を読み、悔悛の情を起した横山殿も、

十駄の黄金と、あの人喰い暴れ馬「鬼鹿毛」を進上する。

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2015年12月22日 (火)

説経節「をぐり」を読む(44)

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新しい国司様、たってのご所望である。
君の長殿は、常陸小萩にお酌を命じた。
その道理に負け、御前でお酌に立つ小萩。
もとより二人、お互いの正体にまだ気付かない。
小栗は自ら名乗り、これまでの経緯を語り始める。
「それがし常陸の小栗、横山殿の毒酒で責め殺されしが、
 餓鬼阿弥と呼ばれ、海道七国を土車に乗りて引かるる折、
 美濃国青墓の宿、よろずやの君の長殿の水仕、
 常陸小萩と云う姫が、
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「この報恩と御礼のため、かように参って居るのだ。
 さあ、常陸小萩殿も誰の御子か、お名乗りあれ」
照手姫、涙に咽びながら、
「何を隠しましょう。かく申す私も、横山殿の一人娘、
 照手の姫にございます。
 父横山殿に相模川へ沈められるところを、
 あなたこなたと売られて、当地の君の長殿のもとで、
 十六人分の水仕を一人でしていたのです。
 あなた様にお逢い出来て嬉しい…」
二人は再び相見えたわけだ。

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2015年12月18日 (金)

説経節「をぐり」を読む(43)

B15121701

晴れて父母から、我が子と認められた小栗、

父兼家と揃って宮中へ参内する。

帝より畿内五ヶ国の国司に任じられるが、

加えて小栗は、美濃一国を願い、重ねて賜ったのは、

もとより仔細あってのことだった。

早速、洛中に高札を立て、奉公を望む者を募り、

三日で集まった三千余騎を率いて、

いよいよ美濃国へ「お国入り」となる。

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小栗一行は、青墓宿に着き、

あの因縁の「よろずやの君の長殿」の舘を宿所に定めた。

君の長殿夫妻は、選りすぐり百人の「流れ」(遊女)を並べ、

逆さまにになって、新しい国司様を迎える。

我も我もと「群参」する遊女たちに、小栗は少しも満足せず、

ただ、こう所望した。

「この舘の内に、水仕の常陸小萩と云う者があるか。

 お酌に立てよ!」

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2015年12月13日 (日)

説経節「をぐり」を読む(42)

B15120701

熊野巡礼者に身を窶した小栗は、
京の都、父二条大納言兼家の御所に辿り着いた。
喜捨を乞う風情で、邸内に入り込んだが、
門番に咎められ、追い出されそうになる。
だが、ちょうど居合わせた叔父の御坊が、
この不審な巡礼者を気に留め、
傍らの小栗の母、御台所へ告げる。
「我ら一門にばかり、額に米の字が現れると云う、
奇相ありと申すが、あの修行者にもそれが観える。
今日は奇しくも小栗が命日。急ぎ呼び戻し、
喜捨を施そうではないか」
今こそ名乗るべきと、広縁へ駆け上る小栗。
「母上様、昔のままの小栗でございます。
 三年の勘当、お許し下さいませ」
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さて父兼家は、御台所からことの次第を聞き及び、
「我が子小栗は、相模の横山舘にて、酒に仕込まれた毒で、
 殺されたはず。この修行者が小栗と名乗るならば、
 幼き頃より教えたる証しがある。されば、受けて御覧ぜよ」
強弓を取り上げ、よっ引きひょうと、矢を放つ。
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すかざす小栗、一の矢、二の矢を左右の手で掴み、
三の矢を、はっしと前歯で受け止めた。
「さあ父上様、かように昔のままの小栗でござりますぞ!
 三年の勘当、お許しを!」

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2015年12月 7日 (月)

説経節「をぐり」を読む(41)

B15120501

すっかり回復した小栗は、
熊野三山(本宮、新宮、那智)の巡礼へ出る。
その様をご覧じた熊野権現、
「あの小栗の如き大剛の者にこそ、
 金剛杖を買って貰わねばなるまい」と、
「山人」(杣人)に変化して、声を掛けた。
「そこの巡礼者の方よ、熊野へ参ったからには、
 その証しに、金剛杖を求めることになって居る。
 この金剛杖をお買いなさい」
「それがしは、餓鬼阿弥と呼ばれ、東海道七国を、
 土車に乗せられ、引かれたことを無念と覚ゆるに、
 さらに金剛杖を買えとは、何かの呪詛であろうよ」
と小栗はそっけない。
権現は「然に非ず。金剛杖はご辺の身を護り、
 運を開くもの。持ち合わせが無いなら、
 ただで取らせよう」と、二本の金剛杖を置いて、
かき消すように観えなくなった。
「さては有り難き、権現様であったか」
小栗は、三度礼拝して、金剛杖を一突きし、
勇躍都を目指したのだった。
「をぐり」の絵巻では、独立した場面として描いていないが、
強いて謂えば、前回の三枚目で、湯より上がった小栗に、
声を掛けている、金剛杖を持ち、腰蓑を付けた男が、
権現なのであろうか。
熊野権現は「山伏」の姿で化現することが多いようだ。
上掲は、一遍に神託する有名なシーンを、
聖絵より写した、桃山期の「熊野成道図」だ。
「山伏」と「山人」は山繋がりで、もとよりお仲間であるから、
両者に変化しても、意外感はなかろう。
それにしても、金剛杖を「売りつける」熊野権現とは、
商売熱心な神なのだ。
物語の前半に登場する「連雀商人」(後藤左衛門)には、
熊野修験や御師を出自にする者が多かったと云われるが、
やはり、深い関りが窺えて面白い。

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2015年12月 4日 (金)

説経節「をぐり」を読む(40)

B15113001

閻魔大王の約定通り、熊野湯の峰で湯治を始めた「餓鬼阿弥」
最初の七日で、両眼が開く。
病者の傍らで、いろいろと世話を焼くのも、
熊野修験(御師)たちの役目のようだ。
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次の七日で、耳が聞こえ…
三度目の七日では、見守る山伏や時衆と会話が出来るようになる。
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ついに、七度目の七日、都合四十九日にして、
 人が他生を得る死後四十九日に観立てたのあろうか)
もとの六尺二分(180㎝超)豊かな体躯の「小栗」に、
復活を遂げたのだった。
「をぐり」で描かれた熊野湯の峰のように、
中世世界の温泉は、万病を癒す、仏神の功徳の現れであり、
霊験所に他ならなかった。
もとより伊豆山・走湯権現、箱根権現など、枚挙に暇がないわけだ。

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