日々の写真とエッセイ

2018年3月13日 (火)

「それだけじゃないんだ」

B12091603

ちょうど一か月前の今日、
二月十三日午前五時四十五分頃、
大宮市内にて「胸の振り子さん」が、
車で出勤途中、交通事故に遭い亡くなった。
筆者にとって、近頃では、最も親交があった「友」だった。
当ブログの投稿も、
常に彼が読んでくれるのを、
前提に書かれたことを告白しよう。
初めて彼と逢った日が、昨日のことのように想い出される。
2007年春、その年の9月に開催された、
銀座の喫茶店の一室で、
賛同者が初めて顔を合わせた時だった。
ドアを開けて、部屋へ入ると、
正面に、大柄で、柔和で、
筆者より、ずっと年上な風情の男性が、
眼鏡の奥から「優しい眼差し」を、
こちらへ向け、微笑みながら座って居た。
帰りの地下鉄のホームでぽつりと、
「中沢新一」の「東京アースダイバー」について語りかけたのが、
「最初の話題」だった。
その後、彼のブログには、
「それだけじゃないんだ」とコメントされていた。
それから「話の続き」は、事故前日の二月十二日まで、
途切れることはなかった。
筆者が、この一か月間に受けた心身のショックは話すまい。
「振り子さん、でも、未だ、それだけじゃないんだ…」
B18031301
 今日、寓居裏の谷戸の杜で観つけた、
 カタクリの花一輪を、
 彼へ捧ぐ。
右欄のBookmarkにリンクを張った彼のブログ、
“A Moveable Feast“は、その儘にして置こうと想う。

| | コメント (4)

2012年8月 9日 (木)

今年の蝉たち

B12080801

今年の蝉たち、去年ほど賑やかではない感じがする。

でも、寓居近くの小さな森では、こんな光景が観られた。

夕風に吹かれる一枚の葉に、

五匹はしがみついている(一番下の向こうに、もう一匹)

地中に七年とは云うけれど、

実際に確認されたわけではないらしい。

地上に出てから、七日の命と云うのもそうだ。

まだまだ、ミステリアスな彼らなのだ。

(捨身 二代目CX5)

| | コメント (2)

2011年9月18日 (日)

彼岸花咲く

B11091702

B11091703

B11091704

何だかんだ言っても、さすがに残暑が途切れつつあり、

秋は確実に深まっている。

当地では、想ったほど彼岸花が多くない。

見つけたのは、目立つところで二ヶ所だけだ。

谷戸奥にでも、分け入らないと難しいか。

駅で、埼玉・高麗川、巾着田のポスターを見かけた。

今週末から「彼岸花祭り」だそうだ。

此処からだと、意外に近いらしい。

昔、撮影計画を練ったことがあったな。

一斉に咲くと、毒々しいまでの真っ赤、

どうしても、鮮血を想起してしまう。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年9月 9日 (金)

秋の光

B11090801

B11090802

B11090804

秋の光は、全ての対象物の、

輪郭線をくっきりと浮かび上がらせる。

写真撮影に好適な季節の到来だな。

……………

「人物叢書 千利休」(芳賀幸四郎著 1963 吉川弘文館)

を読み継ぐ。

利休の系譜に関する、最も信頼出来る文献によると、

利休の祖父は千(専)阿弥といい、

代々、足利将軍家の同朋衆を務めていたが、

政争に巻き込まれ出奔し、堺へ移り住んだと云う。

時宗の阿弥号を名乗る、僧形の同朋衆は作庭、立花、茶、

田楽、猿楽能などの道々の輩であり、

もとより、卑賤の身の上だった。

しかし、田中というれっきとした姓があったようで、

正式には田中千阿弥と呼ばれる。

姓がはっきしない、否、持たない秀吉との大きな違いだろう。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年9月 5日 (月)

虹立つ

B11090401

B11090402

日中、風吹くも、雨降らず。

夕刻、東方の地平線近く、微かに虹が立つのを認める。

それを何とか望遠側ギリギリで撮ったのが上の写真だ。

ほんの一瞬、西日が差した時に出現したのだけど、

その間僅か数分だったと思う。

(虹の立つところについては、こちらを)

…………

昨日、思い立ってAmazonのお急ぎ便にて、

「人物叢書 千利休」

(芳賀幸四郎著 1963初版 2000新装版 吉川弘文館)

を発注し、本日入手する。

利休のことを纏まった論考で読みたくなったのだ。

半世紀近く経つ著作だが、名著と言えるだろう。

出自に関するところでは頷く点多し。

近く稿を改め、紹介しよう。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年9月 4日 (日)

つくつくほふしの鳴き声

B11090301

B11090302

B11090304

寓居の周りの森は、ツクツクボウシの大合唱である。

神経質な蝉で、撮影するのはちょっと難しいが、

当地に来て、初めて成功する(写真上)

「オーシツクツク」と鳴くと想っていたけど、

その名の由来通りだと、

「ツクツクホーシ」と鳴くと云うことになっておる。

どっちでも構わないにしても、「ほふし」(法師)と聞こえたのは、

どこか、中世世界的な感覚が入っているような…

念仏を繰り返し唱え続ける、正規、非正規の「法師」たちが、

道々、宿々に溢れていたわけだしね。

…………

遙か西方を進む台風なれど、突風と豪雨、当地も襲う。

(写真 CX5)

| | コメント (3)

2011年9月 1日 (木)

夏の終わり

B11083102

B11083103

B11083104

台風の接近で八月終る。日中は降りそうで降らず。

週末の天気が気になるのは、

越中八尾の「風の盆」が始まるからだ。

………

新首相は存外、シンプルな思考の持ち主のようだ。

現代史に対する、歴史感覚の支離滅裂さにはちょっとね。

異論もあるだろうが、前政権より確実に一段堕ちよう。

これからは、中世世界さながらの、

「自力救済」の思想を見直す必要があるな…

と書いてきたところで、虫の音に耳を傾ける。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年8月17日 (水)

蝉たちの往生

B11081601

B11081602

都心に居た去年の夏も、蝉は少なくない環境だったけど、

当地の比でないのは確かだ。

夏は終わりに近づき、蝉たちの往生際に行き会うことが多くなった。

道端に累々とひっくり返っているのはありふれた光景である。

でも、中には骨のある奴もいる。

朝方、落ち武者の如く、

羽を乱したアブラゼミがとまっているのを見つけた。

夕刻、同じ道を通ると、そのままだった。

試しに突いてみると、はたと地面に落ち、

既に事切れているのであった。

蝉の「即身成仏」 否、「立ち往生」か(写真上)

昨夜、深更に及んで「ケッ!」という叫び声とともに、

窓にバッシと当たるものがある。

ヒグラシだったが、彼は真夜中にもかかわらず、

「カナカナ」と鳴き出した。あまりにうるさいので、

ビームライトを照射して(フラッシュは無理である)

一枚撮ってやったら、蝉パンチを浴びせてきた(写真下)

こっちの往生はまだ先のようだな。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年8月 7日 (日)

夏の終わりの始まり

B11080601

B11080602

B11080603

PCに向かっている背中で、何かがバッシと当たる音がする。

振り向くと、窓辺にアブラゼミがとまったのであった。

夕刻、外出すると、今度はヒグラシを見つけた。

神経質な蝉で、高いところにとまることが多く、

撮るのが難しいのだが、今日は街路樹の低いところだった。

幼少期によく聞かされたけど、

蝉が低みにとまるようになったら、夏もそろそろと云う。

「夏の終わりの始まり」か。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

2011年7月 7日 (木)

刑事コロンボの「別れのワイン」を視る

B11070601

B11070602

B11070603

刑事コロンボの「別れのワイン」が最初に放映されたのは、

1974年の6月と云うが、シリーズ中でも、

筆者が最もよく記憶しているストーリーの一つだと想う。

それから、何度となく再放送は視ている。

昨夜は、ピーター・フォーク氏を偲ぶ番組での放送だった。

さすがに今では、まどろっこしいドラマ展開で、

台詞も時代がかってるのは否めないけれど、

小道具に使われたワイン(1945年のヴィンテージポートと、

エスト!エスト!!エスト!!!ディ・モンテフィアスコーネ)が、

気が利いていて、粋なところは変わらない。

当時のままの吹き替えで、カベルネソーヴィニョンが

「壁に滑らず」ならぬ「カベニスベニアン」になっていたり、

シャブリが「シャブリス」になっていたりするのはご愛嬌だ。

(写真 CX5)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧